新潟をリードしたディスコ 【2006/12/8(金) 午前 3:27】

ピープルパワー 新潟市古町8番町C

当時のパンフの写真です。


新潟をリードしたディスコ【2007/2/3(土) 午後 8:53】

東堀に有ったヘラルド

ピーパーを閉めて思い切って出した店がヘラルドでした。
ビルの7・8階を吹き抜けにして200坪の新潟最大のディスコクラブ。
当時出たばかりのJBLの音響システムはフルパワーを出すとビルの壁が壊れるといわれたくらい。
壁と床は防振のため2重構造に、照明設備だけで2千万をかけたというすごい物で。
今では価格が10分の1になったムービング照明「ゴールデンスキャン」が12台も付いていた。
当時流行った芝浦のゴールドを参考に作られたこの店は、新潟の歴史の中で万代の「インデペンデントハウス」とならぶインパクトのある店だった。
つづく。 ゛

新潟をリードしたディスコ【2007/2/17(土) 午前 2:39】

東堀に有ったヘラルド A

先回につづき新潟市東堀通りに有ったクラブヘラルドの話。
1990年にできた巨大なクラブは、各方面から注目をされていた。
当時DJの専門誌で全国のDJたちが読んでいたであろう、DjBible誌の 笠木氏が始めたRRPJ(リソース、レコードプール、ジャパン)
※アメリカのレコードプールシステムを日本に取り入れ、現地のレコード会社に対してむこうのDJ同様に日本のDJの地位を確立しようと作り、日本のトップクラスのDJを50人限定で公認DJとした。
幸運にも私は東京で活躍する有名なDJに混じって無審査で公認されていたので(私は応募しなかったのに東北地区の代表になっていた)
DJバイブル誌プロデュースの月刊誌Dance Xpressで何度も紹介された事があるんです。

今回アップした画像は1991年2月のダンスエキスプレスに載っているヘラルドを全国に紹介された記事で、その中には ダンスフロア奥にあるスピーカーはJBLコンサートシリーズ4873を中心に左右各6本DJブースの左右に描く4本の巨大なシステムが。
ドライブするアンプは6290を16台で音の迫力は凄いものがある。
と紹介されている。

実際、DJブースは床の基礎からコンクリートと鉄骨で立ち上げハウリング対策をしたにもかかわらず、パワーをあげるとSL1200ではハウリングをおこした。
ターンテーブルは4台メインミキサーにSSRを使いノイズの無いピュアなサウンドを実現。
床と壁はビルの壁に防音材を貼りさらにコンクリートで覆うという2重構造になっていた。
過去にも現在にもこれほどの音響設備を誇るところは新潟に無いと思う。
ただこの音響設備も私にしては100点ではなかったです。JBLの悪い部分も出てしまったので、80点くらいでしょうか。と言っても他と比べればメチャメチャ良かったのですが。
そうそう、この店にマイケルジャクソンにダンスを教えたというポッピン、タコという人がきて(映画ブレイクダンスに出てた人)
DJ,hanaが気がついて私にサインもらって来いっていうんで行ったら、日本では皆が気づいてくれないんで、新潟で自分を知っている者が居ることに凄く喜んでくれて、話をしている席でブレイクダンス(ポッピング)を踊って見せてくれたんだ。

※私は当時オールドスクールのダンスを総称してブレイクダンスと言っていた。
ポッピン、タコの踊りはその中のポッピングとういう踊りだった。
私だけのために、目の前で!凄かった。今も上手な人はいるけど彼の踊りは一つ一つの動きが正確で どうやったらそんな風に動くんだってくらい上手かった。ひいき目かもしれないけどね?
また、一緒に来ていた黒人の人はボーギングが得意でそれも踊ってくれた、凄かったこれも。
当時私もポッピングの真似を少しできたんで後でダンスフロアで一緒に踊ったが、へたくそな私の踊りを誉めてくれたのには彼の人柄が伺え嬉しかった。
今でもあの時、私に彼がポッピンタコだって教えてサインを貰うように勧めてくれたDJ,HANAには感謝している。多分、あの素晴らしい踊りを至近距離で見たのは、私くらいだろう。
巨大すぎて息の短かったHERALDだが新潟のディスコ・クラブシーンに影響を与えたところだたと思う。正式名称は「TIME ZONE CLUB21 HERALD」だ。
プリペイドカード式の料金システムだった。

写真は当時の私とロスから来たDJカーティスです。

新潟をリードしたディスコ【2016/5/13(金) 午後 3:50】

ブラックバードのパンフレットより

写真は1986〜88年頃のものと思われます。 ゛


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