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ソウルミュージックと私【2006/4/3(月) 午前 2:07】
音楽にまるっきり興味と知識の無かった私は、高校生の頃から少しずつ洋楽を聴くようになっていた。
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ソウルミュージックと私 part2【2006/4/4(火) 午前 0:51】
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「Solomon Burke」
多分71年か2年頃かと思う、職場の先輩が「お前の好きそうな店があるぞ!」といって連れて行ってくれた小さな店(東掘りの有名な漬物屋さんの隣の飲食長屋の2階にあった)が、私の人生を変えた。
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ソウルミュージックと私 part3 【2006/4/5(水) 午前 0:38】
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「Three Degrees」 ウイスキーのボトルキープが5000前後、お茶を飲むといって喫茶店でコーヒーを飲む、たしか2〜300円だったような気がした。 コーヒー1杯で4人がけの席をカップルで2、3時間話し込んでいるのが当たり前だったから、のんびりした時代でもあったんだと思う。 物価はどんどん上がったし、音楽も色々なのが流行った、グループサウンズにフォークソング、演歌に歌謡曲、テレビの音楽番組では色々な音楽が聴けた、日本の曲ばかりだったけど、、、、。 当時のダンスホールは不良の溜まり場、危ない場所、一部の若者しか行かない所、ってな認識だった、入り口から店内までは長い通路があり、真っ暗な通路にはサイケ調の蛍光色の模様がブラックライトで怪しく光っていた、もちろん店内も暗い、ステージにはバンドがロックをガンガン演奏し、強烈なストロボで踊ってる人々が浮きあがる、ストロボが消えるとブラックライトに隣で踊ってた娘のシルエットが光った。(Ps、化繊のTシャツはブラックライトに反応しないで中の綿100%の布が青白く光っていた(~_~)v。 さて、話を主題に戻そう、東京では新宿などでもソウルミュージックを流し流行のステップダンスを踊る店があったんだが、そこは新潟なんで、なかなか流行が届いてこない、 ジャズ喫茶などの、たいそうなお店はいくつもあったようだ、そこではJBLやアルテックやタンノイなんて高価なスピーカーから高尚な音楽が流れていたに違いない。 ソウルを聞けるお店というと、無い!東掘りのあの店以外には黒い曲を聞けるみせはなかった。 74.5年位に新潟にもディスコと言うものが出来ました。もちろん東京資本で出来たばかりの万代バスターミナル隣のホテルの地下をワンフロア使って、翌年には六本木のディスコの帝王が古町に進出してきた。 そこでソウルが流行ると思いきや、時代の流れは大衆文化、ポップスへと向かっていったのです。 (くすん;_;)゛
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