古町に出来たジュウタンディスコ 3 【2006/5/6(土) 午前 2:19】

(最後の20セント全盛期)
今回のレコードは最強キャンディポップだ!!!!
(ジャケ汚れすぎなんで修正しました、ハローミスターモンキーちょっと変)
そう、映画サタディナイトフィーバーが公開された前後、新潟のディスコは万代のインぺに変わり
「最後の20セント」の時代だった。
また、小さいディスコはいろいろ出来たが長続きせづ無くなっていった。
セントと同じビルの6階に新潟の夜を牛耳っていたサン?ア系列のディスコがオープン、
東京から来てた知り合いのDJだったので行ってみた。
んあった、、あ----た。トップレスのお姉さんが、闊歩しているじゃーあーりませんか。
(~_~)
ビール持ってくると、ジョッキより胸に目が行って、落としそうになる、危ない!
違う世界だった、2度と行かなかったが、直ぐ無くなった。
今だったら毎晩行くかも?
後にアメリカントマトって名前でけっこう良い店になります。
このトップレスの後、この会社は東堀に、系列クラブ(お姉さんのいる)だけの入ったビルに
小さいお店を出しました。すまん、店の名前が出てこない!
インペ時代に東京から来たDJの影響でファンキーな曲好きになった奴らが集まってた。
小さくて、ダンスフロアが2畳くらいしかなかったけど。スペースの3分の一はスピーカーだった。
当時、新潟の流行の先端を行く人種が集まっていた。
新潟のエンバシーってとこかな?
それから、セントのビルの三階にあった青春の里、深夜までやってたんで仕事が終わってからよく行ったよ。小さいけどファミリー的で良い店だった。
青春の里では女性DJ2人で回してた。
もちろん繋がないで、シングル盤の照会文読みながらね。
お客には常連のファンキートリオが居たり、ディスコジルバのメチャうまい子が居たり、面白い店だったよ、マスターも若い頃さんざん遊んだような、若者に理解のあるいい人だった。
最近の新潟では俺が新潟を作ったみたいにふかしているDJが居るけど!Djなってったっけ?
何にも無い時代から、ディスコを流行らせ作ってきた人々が大勢いる、不良の溜まり場と言われてた時代からディスコが市民権を得て一般の人が安心して楽しめるお洒落な場所にしてきた人々が。
流行を追っかけ、流行に惑わされながら、常にかっこよさを求めて。
名前は伏せるけど、私だけではなく、そんな奴らがいっぱいいた。
苦労なんて思ってなかったし、ただ楽しみたい、かっこよくなりたい、踊りがうまくなりたい、だけだったけど、みんな腹の底に新潟を良くしたいってのがあった! 。
よそでだめで、あとから新潟に流れてきて、そういう人達に敬意を持たないで偉そうな事をいっている奴がいる、知らないだろう、今の新潟になる前を!なるまでの歩みを!。
イヤー、昔、頑張ってた奴らを思い出して、マタ、脱線してしまった。年寄りの愚痴ですかねー。
m(_ _)m
この20セント全盛の時代に音楽的にレベルの高い店と一般客に合わした店に分かれていく。
ま、もともとクラブスタイルはそれが当たり前だったんだけどね。
そうそう、私が20セントにいる時代には曲の繋ぎはまだマスターできてません、当時のお客に聞くと、
ギューンって音が入ってから切り替わった。とか、えっツナイデタノ?って感じです。
縦フェーダーでカットインの滑り出しの音が出てたみたいですね。ちなみにこの時代にピッチの安定してる曲は皆無です。
あと、今でもそうだけど、ほんとにいい曲は頭から行きたい。
続く、、、(@_@)v
上に戻る
|